令和4年度の委託研究
1「ポストコロナの働き方・労働市場と労働法政策の課題」
(主査:山川 隆一 東京大学大学院教授)
(1) 2020年から始まった新型コロナウィルスへの感染の広がり(コロナ禍)は、その後約3年を経過してもいまだ収束を見通せる状況ではないが、一方で、社会・経済活動を持続させていく必要が認識される中で、一時期のように緊急事態宣言やまん延防止措置が恒常化する状況ではなくなってきている。そして、遅かれ早かれ訪れるポストコロナ社会を見通した政策の検討が、労働分野を含めて広く必要となってきている。本研究プロジェクトは、以下みて行くような具体的な状況変化を踏まえて、こうしたポストコロナの働き方・労働市場と労働法政策の課題について検討を行うものである。
(2) 労働分野においては、コロナ禍は、働き方や労働市場に様々な変化をもたらし、また、改めて注目すべき状況を生じさせた。例えば、働き方という観点からは、情報通信技術を利用したテレワークがかなりの広がりをみせた一方で、人事管理や生産性の面でなお課題が多いことが指摘されており、労働法上も、たとえば、労働時間規制との関係をどのように考えるかという問題は必ずしも詰められていないように思われる。この点は、テレワークに限らず、高度な情報通信技術の職場への導入(デジタリゼーション:DX)をめぐる、労働者の能力開発(リスキリング)の促進という政策課題にもつながるものである。その他、オンラインでの上司と部下間・同僚間のやり取りが増えるにつれて、新たなタイプのハラスメントやメンタルヘルスの問題も浮上している。
また、新型コロナウィルスの感染拡大防止のために休業という対応をとった企業の多くが、雇用調整助成金やその特例を活用し、労働者の所得保障や雇用の維持を図ることとなり、その社会的な効果は大きなものであったが、その中で、就業形態の多様化を背景に、いわゆるシフト制の労働者が、シフトの割当ての減少の結果、十分に賃金や休業手当の支払いを受けられないのではないかといった問題点や、労働法令の適用を受けない非労働者の所得喪失への支援の必要性が指摘されるに至っている。
以上のような働き方をめぐる問題に加えて、コロナ禍は、わが国の労働市場のあり方についても課題を明らかにすることとなった。上記の雇用調整助成金等の活用により、わが国の失業率は、コロナ禍のもとでも、リーマンショックの時期等と比べてさほど上昇してはいないものの、有期契約労働者の雇止めが増加するなど、いわゆる非正規労働者の雇用保障の弱さが浮かび上がる結果となり、有期契約労働者の無期転換の促進などの法政策上の対応が検討されるに至っている。また、労働市場の動向を見ると、感染へのおそれなどから障害者の求職活動が減退したり(高齢者についても同様の状況であったものとみられる)、観光産業の停滞等を背景に外国人の雇用状況が悪化したりするなど、労働市場での求職活動が制約される労働者への政策対応の必要性が認識されることとなった。
他方、労働需要側である企業に着目すると、コロナ禍の企業活動への影響は、産業分野によってかなりの差が生じることとなった。たとえば、上記の観光産業の他、宿泊業、飲食業、製造業などは事業活動の縮小を余儀なくされる傾向が生じたが、情報通信産業など、むしろビジネスチャンスが増大して業績が向上した分野も見られる。こうした中で、雇用調整助成金等の活用が失業回避という点で大きな効果をもたらしたことは確かであるが、一方で成長産業分野への労働力移動を妨げるのではないかという指摘がなされてきており、雇用調整助成金等の支出の大幅な増加による雇用保険財政のひっ迫という状況をも背景として、従来から指摘されてきた成長産業分野への労働力移動の促進が、わが国の政策課題としてより顕在化するに至っている。
もちろん、成長産業分野への労働力移動の促進は、労働供給側の適応可能性や需要と供給のマッチングの在り方にも関わる問題であるため、前述した労働者の能力開発の他、安心して利用できる労働市場システムの整備(2022年3月にはこうした観点も踏まえた職業安定法の改正がなされた)などの環境整備をどう進めていくかも政策課題となっている。また、産業分野をまたがる企業の盛衰は、新規事業の創出や倒産等を含めた企業組織の変動をもたらしうるものであるため、労働市場における労働移動の促進だけでは十分に対応しきれない面があり、企業組織の変動をめぐる労働者保護等の政策対応もあわせて充実させていく必要があると思われる。
(3) 以上のように、ポストコロナの働き方・労働市場については、コロナ禍が直接的にもたらした課題が存在するとともに、従来から存在していた課題がコロナ禍のもとでよりクローズアップされた課題も存在する。また、これらの課題は、現行法の解釈や運用により対応しうるものもあれば、新たな政策対応が必要となるものもあると考えられる。そして、いずれについても、コロナ禍は全世界的に生じた現象であり、諸外国ではどのような対応がなされてきたかを視野に入れて検討することが有益なものとなる。本研究は、こうした広い視点から、ポストコロナの働き方・労働市場と労働法政策の課題を検討しようとするものである。
2「社会構造の変化とキャリア保障をめぐる課題」
(主査:諏訪 康雄 法政大学名誉教授)
(1)日本の雇用社会構造は、①テクノロジー変化の飛躍的な進展、②グローバル化の進展と変容、③少子高齢化の急速な進展と恒常化等を受けて、大きな変容を迫られている。賃金水準の相対的低下、女性、中高年シニア、外国人、障害者等就労困難者の活用の遅れ等もめだってきた。個人ベースで、主体的に、希望する仕事を準備、選択、展開し、「職業生活を通じて幸福を追求する権利=キャリア権」の保障をより具体化し、企業任せのキャリア形成だけでない能力開発支援、キャリアの形成・キャリアの転換支援の重視を、新たな労働政策として強化すべき時代となっている。
(2)こうした観点から、2019年度から2021年度において、(公財)労働問題リサーチセンターの直轄事業として「新労働政策研究会」を組織し、わが国の労働政策の中期的課題とキャリア保障のあり方を整理し、2回にわたってとりまとめを行った。
第1回とりまとめでは、時代の流れのなかで職業上のキャリア形成をさらに尊重し、しっかり支援し、その成果を個人も組織も社会も共有できるような仕組みを作り上げていく必要があり、新たな労働政策においては、個々人のキャリア意識を高め、個々人と組織によるキャリア形成を促進し、公共政策でこれを支えるインフラストラクチャーを構築し、適切に運営していくことを重要な柱にすることが望まれる、という方向性を確認した。
第2回とりまとめでは、まず、日本の社会構造の変化について、テクノロジー変化の大きな進展、グローバル化の進展、急速な少子高齢化の進展が、日本的雇用システムに大きな影響を与えているとの概略的な考察をした。その上で、新たな労働政策とキャリア権との交絡についての考察をした。これまでの主流である組織中心の発想においては、男性正社員の活躍にもっぱら焦点が当てられ、そのキャリア形成や処遇などが議論されてきた。その一方で、縁辺におかれてきた女性の活躍と共働き社会化への対応、多様なシニア人材の量的増加と就業長期化への対応、増加した非正規雇用の固定化とキャリア閉塞・格差問題への対応、障がいをもつ働き手の活躍とキャリア形成、外国人労働者の本格的な活躍など、多くの課題が個々人の努力でも、企業実務でも、労働政策でも、後手に回っていることを示した。その上で、労働政策が取り組むべき中長期的課題とキャリア保障のあり方につき、2022年度以降に考察していくための5つのポイントを挙げた。
①ジョブ処理能力をより意識した人的資源管理
②女性、中高年シニア、外国人、障害者等就労困難者が活躍する社会の実現
③フレキシブル・ワーキング支援
④労働移動の円滑化
⑤キャリア保障を下支えするための人的資源への投資、能力開発制度の抜本的強化
(3)以上のように、2019年度から2021年度にかけての検討では、日本の社会構造の変化とそれに対するキャリア保障をめぐる課題を整理した。2022年度研究においては、第2回とりまとめにおいて課題としてあげた5つのポイントを掘り下げるとともに、人的資源管理を最近大きく見直している企業等や有識者からのヒアリング、研究会メンバー間の踏み込んだ意見交換により、わが国の労働政策を、キャリア権への配慮を一つの軸として諸方面について見直し、雇用労働政策へのより具体的な反映をめざした提言をまとめることとする。